どうせすぐ飽きるブログ

どうせすぐ飽きます。

昨日テレビで見たお笑い芸人のマネをして笑いをとっていた奴は大人になる前に死ね、大人になったなら早く死ね――何度も言うけど価値のある物を作って欲しいということ

  小島よしおは面白い。

 思春期の頃、ぼくは小島よしおが結構好きだった。あの動きも面白いと思ったし、なんか笑ってしまう。「でもそんなの関係ねえ」っていうパンチラインも、頭から離れない。あの表情や佇まいに、なぜかワクワクした。

 見ててワクワクしない? 小島よしお。

 

 でも、学校で小島よしおのマネをして笑いをとっている奴が大っ嫌いだった。心底憎かった。てか、なんで真似するの?って感じだった。

 それで笑いが起きているのが許せなかった。それを面白いと思ってやっているその根性に一切共感ができなかった。真似をする人、それで笑う人、その空気、全てが嫌だった。

 

 かと言ってオタク丸出しだったわけじゃない。ネットスラングやMADのネタを大声で話して笑ってる奴らも「本当に気持ち悪いし早く死ねよだからおめえらはオタクなんだよ死ね」って思っていたし、そもそも何度も語っている(気がするが)そういった、踏み絵のような行為をしてまで、どこかに属していたいという願望を持つ人間ではなかった。

 

 ぼくはNAVERまとめとかに代表するようなキュレーションメディアが嫌いだ。

 誰かが一生懸命作ったコンテンツの、要点だけを抽出して一つの記事にする。確かに綺麗にまとまってたりするけど、人のブログの記事をそのままパクってきたり、ツイートを丸写ししたり。最悪にも程がある。

 

 学校でお笑い芸人のものまねをするムカつく奴にそっくりだ。はっきり言うけど、死んじゃえばいいって思う。消費してる奴はともかく、作ってる奴は本気で死んじゃえって感じ。つまらなくても自分で作らない奴はクソ。

 NAVERまとめも自分で工夫して作っている人も居て、そういう人の記事は面白いし、勉強になる。キュレーションメディアが他人のコンテンツを抜き出すようなものだけじゃないんだ、ってことがよく分かる。本来なら、そっちのほうが多くなければいけないのにね。

 

 

 かつて、自分だけが面白いと思っているんだろうな、と思っているものがいくつかあった。深夜ラジオだったり、ブログだったり小説だったり。

 これはきっと、他の人にはたいして面白く無いんだろうなあと思うようなもの。思春期のぼくにとって、それらが宝物だった。他の人にとっては気持ち悪いものであっても、ぼくにとってはかけがえのない宝物だった。みんなが面白いと思う物を嫌いなのに好きになるなんて嫌だった。

 そんなものの何がいいの、と言われた時は、苦笑いしながらも、内心、自分の中の価値観にまで踏み込んでくるなと怒鳴りたくなった。度胸がないから言わないわけだけど。皆さんにはそんなことを思った経験はありませんか?

 

 誰かにとって、価値があるものは、他の誰かにとってどうでもいいものであってほしいとぼくは願う。

 ぼくは車とかバイクには全然興味が無いけど、そういうものに興味がある人が、いるべきだと思う。いてくれて、なんか嬉しいとも思う。

 自分にとって価値のあるものを自分で見つけて、新しい価値のあるものを生み出す世界であってほしい。誰かにとって価値があるものを、人の財産から抜き出すような人が少しでも少なくなるような世界であって欲しい。終わり。