どうせすぐ飽きるブログ

どうせすぐ飽きます。

「七草がゆ」から読み解く、ぼくがインターネットにすら馴染めない理由

 

 1月7日は七草がゆの日で、よくわからないそこらへんに生えてる雑草をおかゆと一緒に煮込んで食べるといいことがあるらしい。七草がゆを食べるということは健康の面から考えても一理あるのだという。

 が、しかしだ。遠い昔、七草がゆを食べるということは、一年の無病息災を祈る一種の占いとして機能していた。見てきたわけじゃないからよくわかんないけどさ、前の日の夜から、歌なんか口ずさみながら、次の日に食べる七草がゆバカ丸出しのウキウキで仕込んでいたらしい。マジで笑えるよね。

 ぼくが昔に生きていたら七草がゆを食ってる奴は全員バカだと思っていただろうし、よくわかんねー雑草なんかより肉が食いたいと訴えただろう。だって、肉のほうがうまいじゃん。

 でも、七草がゆは今となっては失われつつある伝統行事と化してしまってはいるが、かつては公式行事だった。この国のあらゆるところで、七草がゆは食されていたのだ。七草がゆを当たり前のように食べていたかもしれないという可能性を、ぼくは想像すらしたくない。誰にも馴染めない時間を送っている自分を、ぼくだって想像したくないのだ。お前だってどうせ、価値観の合わない人間と会話してる時、苦笑いしてやり過ごしてんだろ?

 

 

 でも流石に、平成にもなると七草がゆを食べてる奴なんて見つけるほうが難しいはずだし、七草がゆを食べる物好きなバカはレッドデータブック載ってるはずなのだ。そんなのお前の周りの話だけだろとか言うかもしれないけど、勘違いしてほしくないのはぼくが見聞き、体感しているものこそがぼくの世界のすべてなのだ。人はだれだって自分が理解できないものに近づきたくない。そして自分が理解できないものを敵視する。

 ぼくにとって七草がゆは理解できない。雑草を食うなんてホームレスでもあんまり居ないと思う。

 でも敵じゃない。どうせ滅びるのだ。

 七草がゆなんて行事はこの世から消えてなくなる。ぼくもいつか死ぬが、同じように七草がゆも死ぬ。ぼくらが知らないだけで、この世にはそうして死んでいった伝統がいくつもある。その一つの仲間入りを果たすだけにすぎないのだ。

 アンドロメダまで日帰りで行けるようになるぐらい遠い未来に、吉村作治みたいな物好きがぼくのブログをインターネット遺跡から見つけて雑草なんて食うバカが居たんだなあ」と感慨深く微笑むに違いない。

 そのときはきっと、七草がゆだって報われるだろう。失われたものが、未来に生きる人を幸せにすることだってあるよ。

 

 

 しかし、誰かに説明して欲しくてしょうがないんだけどさ、見たくないと心から願っているものほど、向こうから自分に近づいてくるんだよなあ。

 Twitterとか見てると、フォローもしてねえし見たくもねえのに知らない女の投稿とか出てきてさ、七草がゆ最高」とか「伝統行事だから大切にしないとね笑」みたいな「あー!これこれ!こういう投稿が目に入ってくるのが嫌で近づかないようにしてたんだよなあー!死ね!って感想しか出てこないバカに話題のアクティビティが通知されるのだ。いわゆる赤紙だ。インターネット戦争に駆り出されるのだ。

 

 ぼくは他人の領域にまで踏み込んでまで、「あなたが自分のヒエラルキーを高めるために用いている「それ」が、ぼくにとってどれだけ不愉快で、ぼくを苦しめていて、ぼくをおかしくさせているか」を語ろうとは思わない。そんなことをする奴は狂人だ。(こんな文章を書いてる時点で結構きてるなあって感じはするし、「自分がいかに不愉快な思いをしているか」を発信するということが2000年代のインターネットって感じで結構心地いいんだけど)

 要するに、疲れているのだ。しかも疲れている時に、嫌いな奴の投稿なんてみたくねーんだよ。

 間違っているのはぼくだし、ぼくのほうが現在のインターネットに馴染めていないのはわかってるよ。それでもぼくはこの世で露出の多いコスプレイヤーとかカラコン付けた女の自撮りとか「オチが予想出来ない映画10」みたいなアフィリエイトへの誘導、ブスをバカにしたりして伸ばすツイート、オモシロイと思って書いてるであろう全然面白くないこと、落書きしてみたとかいって伸びそうな時間帯にしっかり投稿してる絵。とにかく全部見たくないんだ。そんなの投稿してる暇があったら、七草がゆをこき下ろすはてなブログを書け。

 

 ぼくのほうが間違ってるのはわかってるし、これは完全にかつてのインターネットというプラットフォームに依存してきたぼくが招いた結末だ。とにかく反射的に他人がシェアしそうなものを投稿することが自分という人間の価値をあげる最も簡単な方法なのだ。そりゃみんな、やるよね。

 でもやっぱり、ぼくはひとりぼっちになったとしても、そうはなりたくないのだ。みんなに馴染みたいけど、そんな人間にはなりたくない。そんな人間にはなりたくない!

 というわけで、おそらく、ぼくみたいな人間は昔に生きていたら七草がゆを食べなかっただろうし、今のインターネットに馴染めてないんだと思う。馴れ合いは好きだけど、馴れ合いたいわけじゃないんだ。

 

 まあめんどくさい人間って、どこにいてもめんどくさいよね。自分が嫌なやつだということを再認識したところで終わりにします。七草がゆは死ね!